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山梨 棲雲寺 [巡礼]

平成二十一年十二月十一日 その101 山梨 棲雲寺

山号      天目山
宗派      臨済宗建長寺派
本尊      釈迦如来
創建      1348年

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国道20号線甲州街道を東京から、新笹子トンネルを抜けて、景徳院入口交差点を日川に沿って竜門峡に向かう道を進みます。カーブの多い川沿いの道を30分ほど進みますと、天目山トンネルを超えてすぐの集落の中に棲雲寺はあります。

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天目山といえば、1582年武田信玄の子、勝頼が織田信長軍の追撃と味方家臣の寝返りによってこの地で自害し、武田氏が滅亡したことが有名です。しかし、武田信玄(19代)の165年前、4代武田信満も、足利義持将軍の命令を受けた上杉軍と守護代逸見氏に追われ、この地において自害させられています。本堂、の左手奥に、殉死した家臣の塔に周囲を守られた宝篋印塔があります。
なお、この部分の写真、失敗いたしました。レンズに雨の水滴が付いてしまったようです。死してなお、殿をお守りする忠義の姿に心を打たれます。感動的な姿は、次回訪れた際に撮り直しです。

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庫裏の右手より、裏山に広がる庭園に散策道が付けられています。入口の案内板を読みます。
山梨県指定名勝 栖雲寺庭園 栖雲寺は南北朝時代の貞和4年(一三四八)に業海本浄和尚の創立した禅刹で 中世禅文化の豊庫ともいわれている。この庭は寺域の北東部に拡がる花崗閃緑岩地域の一帯で面積約二ヘクタール 大小の岩塊が累々とよこたわる その中心は北部の三尊石(六、五メートル高)で 近くに発する涸流れをややくだった中ほどの鯉魚石(三、一メートル)は天を衝く気迫をみせ ほど近い南東方には須弥山があり山を囲む列石が弧状をえがいて九山八海に見たてられるなど 仏教の世界観に通ずるものがある 多くの岩塊の間に地蔵尊は文殊菩薩の線彫りの磨崖仏が拝され 巨大な霊石泉 忿怒石 開山座禅石などもある この庭は修業の場としても注目されるもので 卓越する甲斐の庭園文化の中にあって一類型ともみられる代表的な大規模の遺構として評価される 昭和五十五年十二月 山梨県教育委員会 大和村教育委員会

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よく整備された散策道は、磨崖仏や名前の付いた石を巡る簡単な山道。摩利支天堂や山王神社などの簡素なお堂もあります。全行程20分ほどでしょうか。さて、当寺には国重要文化財「木造普応国師坐像 」がありますが、拝観には事前の連絡が必要だと思います。自分は拝観できていません。

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