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山梨 景徳院 [巡礼]

平成二十一年十二月十一日 その102 山梨 景徳院

ホームページ http://www.koshu-kankou.jp/history/aera/keitokuin.html
山号     天童山
宗派     曹洞宗
本尊     釈迦如来
創建     1583年

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12月の冷たい雨の中、訪れる人もいない古寺巡ってきた甲斐路の寺院でしたが、この日の最後は「武田家終焉の地」に建立された景徳院です。開基は徳川家康、他。武田信玄の四男、家督を継いで甲斐国国主となった勝頼は織田徳川連合軍の侵攻により、韮崎の拠点城新府城を捨て都留領主小山田氏を頼り敗走。しかし小山田氏が謀反し、この渓谷に追い込まれ、妻子と家臣50余名とともに自害。武田氏を弔う為、武田領民を鎮めるため、この地に景徳院を建立したのです。

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棲雲寺から国道20号線甲州街道にもどる途中にあります。総門をくぐり参道の階段を上ると、度重なる火災を免れた山門。その奥に本堂があります。

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山門前を右に曲がると、勝頼、夫人、信勝(勝頼の子)の影像を祀るとされる甲将殿であり、その裏手に勝頼他の墓があります。塔は中央に勝頼、手前が夫人、奥が嫡子信勝です。

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墓の裏手、石垣で少し高くなった所には、家臣の墓でしょうか、古い墓石が並べられています。甲将殿の迎えには生害石という自害の場所とされる3つの平らな石が置いてあり、それぞれ勝頼、夫人、信勝のものとの案内板があります。

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そこから、総門方向に細い道を下るところには没頭地蔵という首の無い地蔵が祀られており、その前に立つ案内板には「この石仏は首無地蔵といわれ勝頼公子夫人の遺骸を葬った所です。」とあります。


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